タイトル 阿弥陀如来座像
阿弥陀如来座像
阿弥陀如来坐像
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鎌倉の作風を今に伝える阿弥陀如来坐像
木材=カツラ材・一木造り(一木造りの構造をえらんだ寄木造という説もある)
像高=138.3・、膝張119.7・
制作年代=鎌倉時代初期(建仁三年西暦1203年)
像の内側に建長二年(1205年)暦応三年(1340年)元禄九年(1696年)の三回にわたり、色のぬりかえ、修理をおこなった銘があります。これよると、建仁三年に幸筌があらたに御堂を建て同時にこの像も作ったとされています。

 平安時代の阿弥陀像は温和につくられているのが普通です。この像も平安時代の作風を残して優しい感じを受けますが、もり上がった広い肩の張りなど、全体に男性的な迫力があります。衣文の線もこれに見合って刀の入りが深く、強いヒダを刻んでいます。いずれも典型的な鎌倉時代初期の作風が感じられます。

阿弥陀如来座像
阿弥陀仏について
 阿弥陀仏といえば、「南無阿弥陀仏」の法号で我々に最もよく知られているほとけ様であります。しかし、真言宗を初め、天台宗、禅宗、浄土宗、法相宗、華厳宗、三輪宗等の諸宗にも各々の阿弥陀仏観があって、その解説も一様ではありません。今真言宗としての阿弥陀仏観を述べれば大略次の通りです。
 阿弥陀仏は五智五仏の一つとして大日如来の妙観察智を表す本尊です。
 金剛界曼陀羅では受用智慧身阿弥陀如来といい、西方月輪の中央仏で、胎蔵界曼陀羅では西方無量寿如来といい、中台八葉院の蓮萃の西方に位します。
 大蔬には、「西方に於いて無量寿を観ぜよ。此は是れ如来の方便智なり。衆生界の無尽なるを以ての故に、諸仏大悲方便も亦衆尽なし。故に無量寿と名ずく」とあり、聖位経には「語輪能々無量の法門を説く」とされています。無量寿儀軌には「我等来末法雑染世界悪業の衆生の為に、無量寿如来陀奈尼を説き、三密門を修し、念仏三味を証し、浄土に生じ、菩薩の正位に入り方便を以て彼の刹に生ずることを得、是故に此の教法に依て正念に修行すれば、決定して極楽世界の上品上生に生じ、初地を獲得す」と記されています。また、「散乱の心を除いて三味の楽に入らしむ」(摂真実経)、「得自性清浄法性如来」(理趣経)、「甘露王如来」(施餓鬼儀軌)とも言われます。

都より素早く伝わった鎌倉様式

倉田文作氏の著書『仏像のみかた』には「建仁三年というと、都では運慶、快慶らによって東大寺南大門の金剛力士像が制作された年で、いわば鎌倉様式の完成されつつあった頃である。その頃に、信州山間の僻遠の地に、このようないかにも鎌倉彫刻らしい剛健さを地方作らしく、いかにも端的に粗豪に示した作品が生まれていることを考えると、当時として中央の様式の移り、好みの変化が随分早く地方に伝わったものだと一驚せざるを得ない。これは、この地方の土豪であった滋野氏一族が、都との交渉が深く、直接的であったかもしれないが、他面新しい流行に敏感であったこの地の人々の性格を示すものであるのだろう。」と紹介されています。

脇侍 / 勢至菩薩 観世音菩薩
阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と観世音菩薩の三尊でまつられています。共に江戸時代初期の作です。

勢至菩薩 観世音菩薩 拡大表示